出口さんとのこと。
出口さんと出会ってちょうど1年くらい。写真のお二人の対談の時。(出口さんと仁禮さん)
NPO法人二枚目の名刺のイベントで登壇して頂き、私はカメラマンとしてイベントのお手伝いだった。
そのときのご縁でちょこちょこ気にして頂き、先日も飲み会に参加させてもらった。
最初に異業種交流会的なものにお誘い頂いたときは、、
なんと、私は寝過ごしてすっぽかした。
夜勤で昼過ぎに帰宅して、その日はめちゃくちゃ疲れていた。
『眠すぎる。。このままじゃ会食中に意識が飛びそう。ちょっとだけ。。。寝てから行こう。』
と仮眠のつもりが
目覚めたら外は真っ暗だった。
目覚ましはスヌーズで何度も鳴っていた。
青ざめた。
すぐにお詫びのメールをしたけど、出口さんはもちろん会食中で返信なく
『あぁ。もう終わった。なんと失礼なことをしてしまったんだろう。』
と思ったのに、
そんなことはきっと出口さんにとっては大したことではなくて
『事故など何かあったわけでなくて良かったです。また次回』
と言ってほんとにその"次回"を作ってくれた。
その後、またお誘い頂けた。
その心の広さと言うか、、、
約束を寝てすっぽかした小娘を
『ご縁が無かったですね』
と切り捨てずに、またお誘い頂けたことが本当に嬉しかった。
私もこんな大人になろうと思った。
そして、その頂いたチャンスで、先日も素敵なご縁を頂いた。
皆さん好きなことを仕事にしている「楽しそうに働く大人」ですごく刺激を受けた。
特にピアニストの方が、すごく私の話に興味をもって聞いてくださって
(隣に座っていたからというだけかもしれないけど ><)
自分は何者で、何をしているのか、あまり、いつもはスラスラとは説明出来ないのだけど、今日は上手く説明できた。
その方から返ってくる質問がまた、伝えたい事をより掘り下げてくれる感じなので
「興味をもってくれていて、理解してくれてるなー!!!」と感じた。
『聞く力』の大切さを実感した。
ほんとに興味を持ってくれてるんだなと感じることが出来たから、安心して話すことが出来た。
だから想うまま、変に変換せずに話せたかなと思う。
『想いがあってやっていること』を人に話すようになってからというもの
ほんとに興味を持ってくれているか、うわべだけなのかは、だんだん分かるようになってきた。
まだ、”そもそもあまり興味なさそうな人” に伝わるように話スキルは、持ってない。泣
でも、”興味を持ってくれそうな人” にちゃんと伝わるように話すスキルは勉強中!!
そして、興味を持ってくれる人のなかには、私の話の上手い・下手に関わらずきちんと話を聞いてくれる人がいて、救われる。
そういう人をマジで大切に、せめてそうう人にはしっかり話をしていきたいと思った今日この頃。
【語ることによるチカラ】磨かないと。
自分の発言を『人にどう思われるか』と気にして、恐る恐る口に出すということは以前よりは減っていると思う。
"自分の考え"は自分しか持ってないんだから、反応を伺い別のものに変換しても仕方がない、と。
そう思えるようになってきたことはすごく大きいな。そう思った方が、逆に上手く伝わっている気がする。
と、普段接しない方々に自分について話をして、改めて色々感じた夜でした。
出口さんに感謝です。
あと、そうそう。
この会は神保町の『未来食堂』さんで開催された。
IBMのエンジニアから定食屋さんという異業種転身をされた『小林せかい』さんという2児の母のパワフルな女性のお店なんだけど、
これがまたすごく面白い運営をされていて、素敵な出会いになった。
これを書くとまた長くなるので今度。
その時に、せかいさんの提案で、参加者のみなさんが一通り自己紹介も終わった状態で、
さらに『今自分が興味があること、ハマっていること』などを共有した
私は、今一番関心があるのは
【人が何かを”自分事”として捉える、火のつく瞬間の動悸はなんだろう】ということ。
私は自分のプロジェクトをリーダー的立場としてひとつ抱えていて、もう一つはフォロワーとして関わっている
リーダーとして仲間をどう巻き込むか、
フォロワーとして、どうリーダーのフォローをするか、他の人をどう巻き込むか
その辺が今悩みというかトライ&エラーを繰り返しているところ。。。
一人一人とのコミュニケーションに尽きるわけだけど
ほんとにエネルギーが沢山必要で、時々心折れそうになる><
でも、そういうことを積み重ねた先に、深く心が繋がった仲間と、未来をつくっていくという体験をしたくて今は勉強の日々
出口さんに、その『火のつく瞬間はなんだと思いますか?』と質問したら
『人 だと思いますよ』 と即答された。
私もそう思う。
そっかやっぱりそうなのか。良かった。と思った。
この人と一緒にやりたい。
この人の想いに共感する。
この人に笑顔になってほしい。
この人を助けたい。
そういうことだよね。
少なくとも私はそうだ。"人"に対して火がつく。
なかなか理解し合えないなと思う状況のひとつに、男女の違いみたいなものが自分の中で引っかかっていて、
でもなんか違う気もしていて、、、
”男女”っていう枠でくくりたくないとすごく思うんだけど、
そうくくってしまった方が自分が楽だからそうしていただけなんだと思った。
なんとなく気づいてはいたけど、誰かにそれを言ってほしかった。
なんだかまた気持ちがクリアになった。
1年前の対談で仁禮さんが言っていた。
『おとなとこどもって分類するのはおとなだけです。分類して名前をつけた方が安心するから分類しているだけ』と。
1年前の対談の言葉がすごく今になって身に染みた。
もう一つ、仁禮さんにある人が質問した
『こんな風に有名になって、仁禮さんをある意味”利用”しようという人や、仁禮さんが「あ、この人はなんかイヤだな」と思うような人も周りによって来ませんか?そういう時はどうしていますか?』
と
そしたら、
『自分が嫌だなと思う人は、きっと相手にとっても違うなといつか感じると思います。自分とは合わないなという人は自然と”私の世界”からはいなくなっていくと思っているので特に何もしません』
と答えていた。(※1年前の記憶を言葉にしているので、多少解釈が違うかもしれません)
私は、そして会場の多くの人が、
すごいな!と思った言葉だった。
そっか。
確かに。なんだかんだ、私も周りの人に恵まれているといつも思うけど、
そうやって自分と相手が相思相愛のひとだけ周りに残ってくれているのか、と思った。
自分の周りにいてくれる人に改めて感謝して、大切にしよう。
がんばるぞっ