髪を切った気持ちの区切りに。
【4年間伸ばした髪を切った話】
髪を切った。
2014年に肩上のボブにしてから、4年間。
胸の下まであった髪をバッサリ肩まで切り、とてもスッキリした。
最初の2年はただ伸ばしたくて、
そのあと1年は結婚式の為に伸ばして、
最後の1年は、ここまで伸ばしてただ切って捨てるのはもったいないと思って、
『ヘアドネーション』として寄付することを決めて伸ばした。
Japan Hair Donation & Charity(ジャーダック)|ヘアドネーションを通じた社会貢献活動
色々調べた結果、32センチ以上の寄付で実現する「医療用カツラ」のために結構な長さが必要だと知ったので、最後の1年は完全にその長さに達するためだけに伸ばした。
当たり前のように髪があって、伸ばすことも切ることも選択できる自分に、
こんなことで出来る社会貢献があると知った時は、
やっぱり『当たり前のことを当たり前ではない人たちがいる』というのを改めて感じた記憶がある。
実際にはこの4年間、長すぎる髪に途中ストレスも感じて、
特に冬は静電気もすごいし髪を洗う時間も乾かす時間も面倒で、
切ってしまおうか、、、
と2回くらい思ったけど、ここまで伸ばしきることができて良かった。
髪を切った後の自分は変な達成感というか、伸ばした髪の毛への多少の執着はあったのだけど(もったいないみたいな)
誰かの為になると思うと頭も体も軽やかに爽やかな気持ちになった。
4年もかけて伸ばしてもたった一人分にもならないかもしれないと思うと、
知らなくて捨てているだろう多くの人に知って欲しいと思った。
【髪を切ってリセットしたいという勝手な女心】
髪を切る”タイミング”をいつにしようかとても悩んでた。
ここまでくると切るタイミングを失ってた感がある。
新年はとっくに明けたし、
誕生日はまだ先だし、、、
でもなんか自分自身を一回リセットというか、気持ち的な区切りを付けてこれから先のことを考えたいと思っていた時期で、何かのきっかけを探してた。
人によってはどうでもいいことかもしれないけど、髪をばっさり切るって結構な変化だと個人的には思ってる。
そんなとき、ちょうど約1年の海外留学から親友が帰国することになり、
彼女との再会の日を私の新たな区切りの日にしようと思って、再会の日に髪を切ってから会うことにした。
親友のあかねがいなかった約1年、自分はほとんど立ち止まっていたような感覚で、
先の事なんて前向きに考えられなくて、もどかしい期間を過ごしてた。
今は歩き出してはいるけど、走ってもないのに息が切れそうになってまた立ち止まったり、
自分のペースを探りながら、ゆっくり進んでいる感じ。
自分のことが自分でも分からないことが多くて、「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせ日々精一杯過ごしている。
その間に彼女は新しい経験を重ねて、私の知らない世界を見てきて、
今はこれから先の未来のことを考えてる。
求職中の彼女は不安もあるとは思うけど、私から見たら無限の可能性しかない。
そんな大好きな親友との再会の日は私にとって特別だったし、前向きになれる時間をくれると確信してたので、その日に髪を切ると決めた。
そしてやっぱり、未来志向の有意義な一日になった。
【自分の尊敬するひとに尊敬される幸せ】
あかねや数人の友人を"親友"とわかりやすく呼ぶけど、親友の定義は人により違う気がしてる。
私にとっては、
お互いをリスペクトして、心から安心できて、バカなことも一緒に出来てダメな自分も見せられて、間違っていることは間違っていると言えて、
熱い話も浮かれた話も出来る、見栄を張らず、お互いを認め合えて、素直な自分でいられる、、、
そんな愛すべき存在。
再会は久しぶりに感じることもなくて、いつものように色んな話をした。
20代後半になってから、それまでは仕事や友人、趣味や恋愛の話ばかりだったのに、
時々、政治や教育や社会に対する、問題意識やお互いの意見を話すようになった。
語り合うといつも気づきや学びがある。
お互いに「何かを与えよう」として与えているものじゃなくて、堅苦しい話ばかりしているわけでもなくて、
でも自然と議論をしていくことで得るものや与えるものが必ずある。
それぞれが自分の持っていないものを持っていて、でも傲らない。
かけがえのない存在で、どんな自分でも一緒にいられる最高の関係。
そんな自分がリスペクトする人から、自分がリスペクトされることほど勇気づけられることは無い。
自分が誰かの励みになり、背中を押せる存在でいられることの幸せ。
そんな親友達の存在が、やっぱり人生のどんな場面でも支えになってると改めて感じた日だった。
それぞれ物理的には離れたところにいることが多いけど、
いつも彼女たちに誇れるような人生を生きたいなと思えることがモチベーション。
誇れるっていうのは、何か自慢できるようなすごいことをしようとかでなくて、
今自分がいる世界で、想いを持って生きること。
常に全力でいるのは難しいし、失敗したり間違ったり時には逃げてしまうこともあるかもしれないけど、それでも自分の人生に向き合って真っすぐに生きること。
そんな全部をひっくるめて"私"としていつも側にいてくれる、愛すべき友との再会は最高の日になった。
あかねおかえり!待ってた!
【やっぱり思い出す、忘れられない日】
そしてこの日も含めて、最近感じること。
人生には「何かのターニングポイント」になる1日がある。
今の私があるのはあの日がきっかけだとか、
火を付けたのは間違いなくあの瞬間だった、
という日。
今の私の活動だと、ウィンドサーフィンのリオ五輪代表選考の日。
何年たってもあの時の感情は思い出す。
誰かに助けを求めたかった親友を、助けることもそばにいることも出来なかった。
「自分ではどうすればよいか分からない。助けて欲しい。」
と言うことすら許されないことにも憤りを感じたし、あの時、私に出来ることがあったはずだと感じた悔しさは絶対に忘れられない。
でも、私はいつも心の片隅にあるその話を、私から敢えて誰かに思い出させることはしないようにしてきた。
もう乗り越えた過去として話さない方が良いのかな、となんとなく空気を読む。
でも、ちょう最近オリンピックというキーワードで話をしたり、友人同士の近況を話すと、
私からではなくて、友人の方から『やっぱりあの時のことは忘れられない』と言われる機会がポンポンと重なった。しかもどれも全然別々のタイミングで。
「ああ。みんなも忘れてないんだな」
という嬉しさがあった。
もう既に前に進んでいるし、
真実は決して分からないし、
変えられない過去のことを言っても仕方がない、、、
とか色んな想いがあって私からその話はしないけど、
本当は、みんなの心にもまだ残っているのか?といつも気にかかっていた。
そして数年経った今も、あの時に”悔しい”と感じた人たちの心には私と同じように残っていることを知って、嬉しかった。
数年ぶりに、心に残っている同じ悔しさみたいなものを共有できて、最近とても励みになった。
そして髪を切って親友と再開したこの日も、特別に何かが起こったわけではないけれど、
私にとっては、なんとなく忘れられない日になるかもしれないと思った。
【”怒り”が原動力でも良い。ポジティブに明るい未来は描ける】
そんなターニングポイントとなるような、忘れられない出来事があっても、
自分の中では深く沈めて表には出さない方が良いと察していたのには自分なりの理由があり、
悔しいとか、憤りとか、「怒り」のような思いから生まれるものは ”良くないもの” だと思いこんでいて、
最初の1年くらいはどうやってその思いを自分の中で消化して、
もっとポジティブな想いに変えていくことができるかなということに悩んでいた。
でも2年前かな。
CO(コミュニティオーガナイジング)というコーチングを受けて、
そこで出会ったある人が、怒りが原動力だというような話をしていて、
でも今も怒り続けているわけでは無い。ポジティブな想いで、明るく取り組んでいる
というような話を聞いて衝撃を受けた。
怒りが原動力でも、暗い気持ちで、嫌な想いをずっと抱いて、、、
ではない方法があるのか。
ああ。怒りが原動力でも良いんだ。
と知ったときだった。
すごく救われた気持ちになった。
そこからは、この原動力となった怒りや憤りを無理に忘れたり消化しようとせず、
おかげで今こんなにも前向きに新しいチャレンジが出来ているんだと感謝しながら進むことが出来るようになった。
【2020年と、その先】
あかねと再開し、髪を切って、原点を今一度振り返って胸に刻んで、
なんとなく、しばらくぶりに胸に軽くなっている感覚はある。
でも、やっぱり未来に対して夢や希望を描けずに、不安の方が大きい。
2020年にどんな自分で何をしていたいのか、
どこに住んで、何に囲まれ、誰と一緒にいたいのか。
その先の何を見ているのか。
2021年の日本はどうなってるのか。
全然本とかも読まないし、経済の勉強もしてないし、
狭い世界で生きているので未来が全然想像できない。
でも、今年は大きく舵を切る年になるかなと思うので、
どこに向かうにせよ、悔いの無いように過ごしていきたい。
この数年、2月に運勢が変わる感覚があるので、いったん頭の整理は完了!
スッキリした!